湘南七福神の各社寺(2)

湘南七福神の各社寺を紹介してみたい。今回のコースは、先頁でも紹介したように車で、①東昌寺(福禄寿)→②光照寺(寿老人)→③延命寺(弁財天)→④宗泰寺(大黒天)→⑤長運寺(布袋尊)→⑥仙光院(毘沙門天)→⑦玉蔵院(恵比寿)の順で巡った。本頁では、⑤長運寺(布袋尊)、⑥仙光院(毘沙門天)、⑦玉蔵院(恵比寿)を紹介する。

長運寺(布袋尊)

長運寺(布袋尊)は、約450年前に創立されたと伝えられている高野山真言宗の古刹。平安時代末期、土地の武士・長江義景が、祖父・鎌倉権五郎影政を祀るため、衣笠城内の箭執(やとり)不動を分祀し、影政山と号したと伝えられているお寺。命名は、三浦氏の棟梁・三浦大介義明とのことで横須賀との関係も深い。本尊は、不動明王でこの像は町の有形文化財となっていて、三浦不動尊二十五番札所でもある。

布袋尊(ほていそん)

布袋尊の土鈴の画像26

布袋尊は、唐の時代に実在したといわれる仏教の僧や弥靭菩薩の化身だといわ「開運」「良縁」「子宝」の福神。太って、でっぱった太鼓腹、大きな福耳、上半身は半裸に近く、大きな袋を肩にかついでいる。にこにことしたその笑顔の神様で、その功徳は福徳円満。しかし、実はこの布袋尊、七福神の中では唯一実在の人物で十世紀頃の中国の禅僧「契此(かいし)」がモデルと言われている。契此は、常に半裸で、大きな布の袋を肩に担ぎその中に物乞いをして手に入れた食物を蓄えたり、必需品を一緒にいれ放浪し想像もできないような不思議な能力をもっていたとのこと。長運寺は、布袋尊の手につながる角塔婆の紐が出される。これに触れて布袋尊と心を一つにするとのこと。

長運寺の画像27
長運寺の画像28
布袋尊の画像29
御堂の画像30

仙光院(毘沙門天)

仙光院は、500年以上前に開基と伝わる真言宗のお寺。戦火と山火事で2回焼失していて、現在の堂宇は大正2年(1913)に再建されたもの。本尊が十一面観世音で、脇仏に不動尊と毘沙門天を祀る。境内には、「ぽっくり観音」「ぼけ除観音」の仏像が堂に祀られ参拝者も多い。

毘沙門天(びしゃもんてん)

毘沙門天の土鈴の画像31

毘沙門天は、インドのクーベラ神で、四天王の一人多聞天とも言われ日本では毘沙門天と呼ぶ。毘沙門天は、唐の武人装束をまとい、左手に宝塔、右手に金剛棒(または槍)を持ち、二体の邪鬼を踏みつけている姿で表わされ、悪霊を退散させ財宝をさずけるといわれている。「戦いの神」「鎮護国家の神」と信仰され福神。毘沙門天を信仰すると十種の福を得るとされ、その中には「無尽の福」「長命の福」「勝軍の福」「愛敬の福」などがある。また毘沙門天は、民衆に勇気や決断力を与え財福を授ける福神として広く信仰されている。仙光院の毘沙門天は、大和信貴山より勤請したもので『長柄毘沙門天』。

仙光院の画像32
毘沙門天の画像33
毘沙門天の画像34

玉蔵院(恵比寿)

玉蔵院は、奈良時代の東大寺別当良弁(ろうべん)僧正の開基で1250年以上の歴史を持つ葉山町最古の古刹。本尊は大日如来で、海の近くであることから、恵比寿さまが祀られている。

恵比寿(えびす)

恵比寿の土鈴の画像35

恵比寿は、大国主命の御子と伝えられていて、「大漁追福」や「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす漁業、商業、農業の福神。智恵を働かせ体に汗を流して働けばこの神が福財を授けるという信仰の神様。 恵比寿は、釣竿を持ち鯛を抱えた姿の福神で、関西では「えべっさん」の愛称で親しまれている。恵比寿の釣竿と鯛は、釣竿は一匹の鯛しか釣ることができないが,それを根気良く続けていけば,やがて自分の体と同じくらい大きな鯛を釣ることができるようになるという意味があるという。

玉蔵院の画像36
恵比寿の画像37
御堂の画像38
「前頁に戻る」のバナー

スポンサーリンク

ページの先頭へ