箱根七福神の各社寺(1)

箱根七福神の各社寺を紹介してみたい。今回のコースは、先頁でも紹介したように箱根旧道沿いの「守源寺」からスタートとし「駒形神社」→「本還寺」→「興福院」→「箱根神社」→「阿字ケ池弁天」→「山王神社」とした。 箱根七福神の各社寺は、比較的さがしやす場所にある。しいて言うならば「阿字ケ池弁天」と「山王神社」が見つけにくいかもしれない。場所が、それぞれ離れているのですべてを徒歩で回るのはきつい。車か公共機関を使えば1日で巡れる。本頁では、「守源寺」「駒形神社」「本還寺」「興福院」を次頁では、「箱根神社」「阿字ケ池弁天」「山王神社」を紹介する

守源寺(しゅげんじ):[畑宿]0460-85-5237

守源寺は、約400年前の江戸時代初期に整備された箱根旧街道の石畳入り口にあり、お寺に向かう石段が印象的。1670年に建てられたと言われ、たびたびの災害で本堂を失い今のお寺は、昭和5年再建されたとのこと。寄木細工の里・畑宿では、由緒あるお寺。守源寺は、日蓮宗のお寺で、日蓮上人の開基と言われている。大黒天様のお社は、本堂の右手にありその横に朱印してもらえる受付がある。おみやげなどが販売されて、休憩などもできるやさしいお寺だ。

大黒天(だいこくてん)

大黒天は、インドのシヴァ神と日本の大国主命の神仏習合の福神。「有福」「食物」「財福」「出世」のご利益があるとされているが日本では、有福・福徳を示し商売繁盛の守り神として有名。大黒天が右手に持っているのが、打出の小槌。小槌の「槌」は、「土」の産物である米をはじめとしたあらゆるものを産み出す「大地」を意味するものであると伝えられている。またもう一つ手に持っている大きな袋が「福袋」。この袋には、お金やお米が入っている訳ではなく、幸運や幸福などが入っているとのこと。守源寺の大黒天さんも、こららの小槌や福袋がはっきりわかる。

守源寺の階段の画像08
大黒天様のお社の画像09
大黒天の画像10

駒形神社(こまがたじんじゃ):箱根町0460-83-7659

駒形神社は、箱根神社の末社で江戸時代に箱根関所周辺につくられた箱根宿の鎮守神とされてきた神社。駒形神社は、神社の真正面に見える山の駒ヶ岳から神様を呼んで奉ったとされている神社で、建立はかなり古いものらしい。1号線から奥に入ったところにあるので、目立たないのだが地域に密着、浸透している神社だ。毘沙門天のお社は、本殿の右側にある。本殿手前の左手に休憩所があり、そこで朱印を押してもらえる。

毘沙門天(びしゃもんてん)

毘沙門天は、インドのクーベラ神で、四天王の一人多聞天とも言われ日本では毘沙門天と呼ぶ。毘沙門天は、唐の武人装束をまとい、左手に宝塔、右手に金剛棒(または槍)を持ち、二体の邪鬼を踏みつけている姿で表わされ、悪霊を退散させ財宝をさずけるといわれている。「戦いの神」「鎮護国家の神」と信仰され福神。毘沙門天を信仰すると十種の福を得るとされ、その中には「無尽の福」「長命の福」「勝軍の福」「愛敬の福」などがある。また毘沙門天は、民衆に勇気や決断力を与え財福を授ける福神として広く信仰されている。

駒形神社の画像11
毘沙門天様のお社の画像12
毘沙門天像の画像13

本還寺(ほんげんじ):[箱根町]0460-83-7686

本還寺は、東京都港区の光院が本寺で箱根の関所ができた年江戸時代初期の1618年に建てられたお寺。箱根関所までの道が、石畳を含め江戸幕府によって整備されたもので、石畳の道は今でも残っている。箱根関所南交差点のすぐ近くにある。以前、境内には「芦ノ湖野草公園」が設けられていたのだが、現在では廃園している。寿老人のお社は、本殿に向かって左側にあり、受付は寿老人のお社の前にある。このお寺しかない七福神関連のおみやげがある。

寿老人(じゅろうじん)

寿老人は、「健康」と「延命長寿」をつかさどる福神で、背が低く、長い頭に長い白髭、巻き物をつけた杖を持ち、鹿をつれている姿をしている。鹿は、玄鹿(げんろく)と言われ、長寿の象徴とされている。樹老人とも書かれることもあり、樹木の生命力から長寿を象徴しているとのこと。宗仲寺の寿老人が、石造では長い頭かどうかわからないが、本道の木彫「寿老人」は、頭が長かった。石造は、鹿がいたが、本堂の寿老人は、鹿がいなかった。どうやら七福神の形は、場所によりさまざまなよう。

本還寺の画像14
寿老人のお社の画像15
寿老人像の画像16

興福院(こうふくいん):[元箱根]0460-83-6612

興福院は、箱根神社の別当寺・金剛王院東福寺の子院として室町時代に創建されたお寺。多くの仏像があることで知られていて、弘法大師像が有名らしい。畑宿から箱根旧街道を降りてきた出口のところにあり、元箱根交差点のすぐ脇にある。布袋尊のお社は、本殿に向かって左側にある。

布袋尊(ほていそん)

布袋尊は、唐の時代に実在したといわれる仏教の僧や弥靭菩薩の化身だといわ「開運」「良縁」「子宝」の福神。太って、でっぱった太鼓腹、大きな福耳、上半身は半裸に近く、大きな袋を肩にかついでいる。にこにことしたその笑顔の神様で、その功徳は福徳円満。しかし、実はこの布袋尊、七福神の中では唯一実在の人物で十世紀頃の中国の禅僧「契此(かいし)」がモデルと言われている。契此は、常に半裸で、大きな布の袋を肩に担ぎその中に物乞いをして手に入れた食物を蓄えたり、必需品を一緒にいれ放浪し想像もできないような不思議な能力をもっていたとのこと。雪中に寝ても雪をかぶらず、体も濡れず、天気の予測も百発百中、吉凶の占いを得意とし、多くの人々に愛されるようになったとの伝説。

興福院の画像17
布袋尊のお社の画像18
布袋尊像の画像19
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